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277 : 2016/02/15(月) 15:36:29.75 .net
この文章はネタです。リアルにはこのような人物・団体等は存在致しません。
嫁と永遠に仲直り出来ました。
○年3か月かかりました。
この板にて色々と勉強させて頂きましたので、結果をご報告させて頂きます。
嫁の不貞が発覚しましたが、離婚せずに再構築を致しました。
嫁のお相手は、既にこの世界には存在致しません。
墓石に名前が残るのみです。
残念なことに夜間、ご自宅への帰宅途中に、バイクにひき逃げにあったようです。
後から80Km程のスピードのバイクから思いっきり蹴りを入れられ壁と電柱に挟まりましたが、首と背骨が有りえない方向に曲がっていたみたいです。
未だ犯人は捕まっていないらしく、現場には空しく立て看板が情報提供を呼び掛けておりました。
中堅とはいえ商社にて活躍し、嫁と幼い子供を残しての散り様はさぞや無念だったでしょう。
Nシステムや防犯カメラなぞ、穴だらけなのが良く判りました。
私への慰謝料は支払済みでしたので彼の結果はどうでも良かったですが、酒が少しだけ旨く感じられました。
さて、嫁ですが、不貞期間は合計1年ほどでした。
私が気が付いた時点で既に5カ月ほど経過していたようです。
私は妻を愛しておりましたが、それはそれ、これはこれと罰を受けてもらう事を泣きながら考えました。
まず、ある地方の1DKリゾートマンションを購入いたしました。
交渉の結果、大変お安くして頂き、込々でも60万でした。
また、管理人・不動産屋への説明に、妻が精神を患っており、療養の為に滞在したい。
したがって、外出したりも無いし、他の方へのご迷惑は掛からないように部屋をある程度改築したいと申し出ました。
ですので、上下左右に住民の方が居ない部屋を希望させて頂きましたが、
両者とも快く快諾くださり、契約の運びとなりました。
ただし、退去時には修繕費用が別途掛かるとの契約が痛かったですが。
また、もう一つの備品として足環を用意致しました。
この足環と天井裏の梁とをワイヤーで結び、部屋の移動は出来るように、しかし、部屋から外へは出れないようにしました。
天井に穴が開き、不恰好になりましたがしょうがないと観念致しました。
ちなみに、繋ぎは外れないように溶接してあります。
窓も表と裏、両方に割れないようにフィルムを二重に貼り、窓も開かないように鍵を増設致しました。
ドアも中から開けられないように外側にも南京錠を溶接してかけました。
簡単に申し上げますと、窓もドアも開かない、外に出れない個室を作成いたしました。
ワイヤーの可動範囲は6畳の部屋、トイレ、風呂、キッチンは移動できますから、基本的な生活には問題はございません。
刃物類やドライバーなども、安全の為に特殊な物を用意致しました。
反省の為の部屋ですから、テレビやラジオ、書籍、パソコンなどは有りません。
洋服なども新たに揃え直しました。足環があるため、普通の服やズボンは履けませんので。
家電も最低限必要な物は用意致しましたし、これで妻を迎え入れる準備は整いました。
お蔭さまで私のおこずかいは枯渇しかけましたが。
さて、私の準備が終了いたしましたので先人に習い、各方面へ内容証明なる物を配達させて頂きました。
私が気が付いてから1ヶ月ほど、プロの方に監視を頼んでおりましたので証拠はございます。
また、配達に合わせて、私も安宿へと拠点を移させて頂きました。
嫁の携帯(スマホ)は既に私の監視下に御座いましたので、曜日を特定する事はそこまで難しい事ではございませんでした。
嫁へは離婚なら慰謝料100万+財産分与無し。再構築希望なら、私の提示する処罰を受けること。
お相手には500万と遺失利益として月10万×12ヶ月で120万の合計620万です。
遺失利益は嫁が不貞の為帰宅が遅くなったので、私が夕食を取れなかった。その代価として請求させて頂きました。
弁護士を介在しておりませんので、妥当なのかどうかは判りかねますが。
我が家の会計は私がほぼ握っておりましたので、嫁に隠し財産が有っても余り金額は無いと踏んでおりました。
こちらの希望通り、嫁は再構築を希望してきましたので、詳しいお話合いです。
詳細を泣きながらでも喋り、許しを乞うて来ましたので再構築となりました。
併せて派遣でしたが職場も退職し、専業となりました。
これで嫁の方は片付きましたので、次はお相手の方とお話合いです。
流石に嫁に黙ってこれだけの金銭を用意するのは厳しいとのことで、私も妥協いたしました。
合計で220万ほどです。
ただ、彼はこの時点で選択を誤ったのだろうと思いますが、後の祭りですね。
相手に謝る事なく、怒りをおさめさせない。
残念ですが、結果論です。
これにて都会での処置は完了致しましたので、次の段階へと移りました。
嫁のご両親及び私の両親を呼び、経緯を開示いたしました。
今後は嫁は処罰を受けること。しかし、離婚はしないこと。
処罰を受けている期間はご両親と言えども、連絡を直接は取れないこと。
反発・反論無く、全て私のプレゼン通りに進みました。
一番の難関と思っておりましたので、正直胃が痛かったのを覚えております。
そのまま一週間を過ごし、ある日嫁に強めの酒を飲ませました。
私はほとんど口にしませんでしたが、酒に弱い嫁は直ぐに泥酔状態となりました。
やっと移動の準備がこれにて完了です。
私の二重生活が始まります。
新居(マンション)に移動し、嫁の服を脱がし、足環をし、新しい服を着せ、布団に寝かせてあげました。
布団は一組しかなかったことに気が付き、寒かったのを覚えております。
翌日、嫁が起きました。
見たことの無い空間にきょとんとしておりました。
その顔を見た時、やはりまだ私は嫁の事が好きなのだと思いました。
告白した時、プレゼントを渡した時、プロポーズした時、サプライズで色々とした時、同じようにきょとんとしておりました。
あの時と変わってはいなかったのです。
そして、私はその大好きな嫁に告げました。
ここで生活をするんだよ、と。
必要な生活物資は週に一回、私が運んでくる。
他に必要な物は翌週に届ける。
不便な生活だが反省期間はここで一人で生活してくれ、と。
嫁は泣き叫びましたが、私は心を鬼にして、部屋を出ました。
ドアを閉めると防音が利いているのか、あれだけ喚いていた嫁の声が聞こえなくなりました。
寂しく思いましたが、一人、家へと帰宅の途に就きました。
一週間後の金曜の夜、そろそろ雪も降り始めようという時期でしたが、
近くのスーパーにて食料品と必要な物資を買い込み、再びマンションを訪れました。
ドアを開けた瞬間、嫁が飛びかかって参りました。
どうやら一週間、電話もテレビもラジオも書籍も、カレンダーも筆記用具も何もない部屋でただいるだけが辛かったようです。
足環もあり、生活は出来るが不便で仕方ないようでした。
私が部屋を確認すると、ワイヤーを引っ張った形跡と窓を割ろうとした形跡がありました。
どちらも問題は無さそうなので、そのまま放置と結論付けましたが。
荷物を置き、必要な物は無いかと聞きましたが、出せ・帰らせろと叫ぶだけでしたので私はそのまま部屋を出ました。
その日は漫画喫茶に泊まり、翌土曜日、再度顔を出しました。
また同じでしたのでまた来週来るとだけ告げ、ゴミを持って帰宅いたしました。
ここから4カ月はほぼ同じことの繰り返しですので、割愛いたします。
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